雛子の毎日

60代主婦の泣き笑いの毎日

看取りと似てる

合唱団の練習。

1月2回だけ練習してのオミクロンで休みに。

来月から再開予定を1か月延期でまたまた休みに。

 


数年前に立ち上げた合唱団。

年齢層が私よりだいたい一回り上。

中には私の父と同い年の人も。

 


1番若手の私が、使いっ走り団長だ。

 


コロナの一年程前に

元いた合唱団から分離して新しく立ち上げた。

最初こそ順調に、

立ち上げ数ヶ月で舞台も何度か踏んだ。

 


コロナだ。

 


年齢が上のメンバーが多いのと

保守的な考えの人が多いのと

私と同年代のメンバーも

次々に娘や嫁の出産に駆り出され

または親の介護やらに駆り出され

去年も一昨年も

半分の6か月以上を練習休みになっている。

 


緊急事態宣言や感染者が増える波が来る度に

練習は休みになり、

本番の舞台は中止になったり、

ならなくても辞退した。

 


そのうちみんな本番に向かう気力がなくなり、

もう別に本番などなくても

みんなで集まって練習することが楽しい、となった。

 


なので練習もゆるやかに、

以前は2時間半は練習したが、

皆、家族の昼ごはんに間に合うように

⚪︎分の電車に乗りたい、となり

1時間半も練習してるかなぁ。

 


そして2か月ほど練習すれば

また2、3か月休みになり、

また練習が再開すれば

また休みになる。

 


休みになる時は、月の途中でもなんでも

来週から休みにしましょう、となるが 

一度休みになると

慌てることはないから来月からにしましょう、となる。

 


最初こそ、練習ができない焦りがあったが、

今では2か月続けて練習があった後

来週から練習休みと言われると

なんだかちょっと嬉しくすら感じる。

 


決して合唱団が嫌になって

もうやめたいと思っているわけではない。

 


なんだか同じような気持ちになったことがあるなぁと思った。

看取りだ。

 


こんなこと書くと不謹慎かな。

ご気分悪くしたらごめんなさい。

 


舅、姑を看取った経験がある。

認知症から施設に入り、

何かある度に入院し、

ベッドが空くと施設に戻り。

病院と施設では持ち物や着るものが違い

荷物を入れ替え大変だった。

 


それでも親戚からは口ばっかり出され。

モラ夫は知らん顔で逃げるばかり。

 


早く介護を終えたいと願ったことは

絶対に一度もない。

だけど疲弊していたことは確かだ。

 


もうしんどい、もう逃げ出したい、

何故私ばかり、と。

何かある度に

またか、と。

 


何度も「またか」というため息を重ねる度

そうやってお別れをしていったのだと思う。

 


舅も姑も亡くなったときは

ホッとした。

悲しいよりも。

 


亡くなった後も口ばかり出す親戚に

通夜葬儀、35日、49日

初盆、一周忌と大変だったけど。

 


話が逸れました。

 


1番若手の使いっ走り団長の私は

練習が休みになる度に

練習場所の会館へキャンセルの手続きに向かう。

会場から1番遠いのに。

 


「またか」だ。

 


そうやって合唱団がなくなっていく

看取りをしているのかもしれない。

 


寂しいけど、年配のメンバーは

いつ来れなくなるか、

亡くなったりするかもしれない。

指導者も後期高齢者だし、

いつ「もう無理」というかわからない。

 


もう解散にしましょうか、となったら

そうなったらやっぱりホッとするかもしれない。

 


今日も読んで頂き、ありがとうございました。