雛子の毎日

60代主婦の泣き笑いの毎日

大晦日①

結婚前の大晦日元旦の過ごし方を

少し違った視点で書いた記事。

 


https://andante8113.hatenadiary.com/entry/2021/11/18/053621

 


実家ではこの他、大晦日と元旦に

当たり前のようにしていた

しきたりのようなものがあった。

 


大掃除や買い物は前日までにすませ、

晦日は朝からおせち作り。

棒鱈や椎茸をもどしたり

だし汁を作るのはもちろん前日までに済ませる。

 


午後には最後のリビングや台所の掃除を済ませ

午後4時ごろから入浴。

夕食に年越し蕎麦と

午後イチで買ってきたお寿司を夕食に。

その間、入浴し終えた着替えを洗濯する。

 


夜にはレコード大賞や紅白を見ながら

母がお雑煮の下拵えをしていた。

 


お雑煮は一家の長が作る習わしで

父が作るので

あとは火を入れ白味噌を解くだけで

仕上がるように下拵えを母がしていた。

 


車で15分の近場に嫁いだが

婚家は随分違っていた。

 


嫁いですぐに台所は全て任されてしまったのだが、

晦日の朝から実家で母がしていたように

おせちを作る私の横で

モラ夫、舅姑は

やおらあちこち片付けを始めたりしていた。

 


流石に一年目は姑に指示を求めた。

 


晦日の夕食は普通に作り普通に食べる。

いつも通りの時間に入浴。

モラ夫など寝る前にしか入浴しない。

 


除夜の鐘が鳴る頃

年越し蕎麦を作らされ

皆で食べた。

 


除夜の鐘が鳴り終わっても

蕎麦を食べた後の片付けや

やっと入浴したモラ夫の洗濯で

バタバタ夜中の家事をしながら年を越した。

 


「明日の朝にしたら?」と舅姑に言われたが、

実家の呪縛。

元旦にやり残した家事があってはいけないとの

思い込みだ。

 


次の年からは

夕食は実家でしていたように

買ってきたお寿司と年越し蕎麦にした。

 


洗濯物は諦めて元旦にまわした。

 


そうやって長年、

舅姑が亡くなってからも

息子が大晦日に帰省しなくなってからも

晦日の夕食は年越し蕎麦と

買ってきた巻き寿司だった。

 


つづく。

 


今日も読んでいただき、ありがとうございました。