つづき。
https://andante8113.hatenadiary.com/entry/2024/12/28/061021
さて、私は最後を緩和ケアハウスで迎えることにした。
しかも家からはちょっと離れた
関西ではないどこか海のそばの施設だ。
以前家族旅行した沖縄の小浜島のようだ。
そしてその施設に入ったら
もう誰にも会わない。
LINEなどの連絡は取るし、
電話まではするかも。
孫の写真や家や懐かしい場所の写真や
家族の写真や動画は大歓迎。
ただみんなには元気で自由気ままな私の姿を覚えておいて欲しい。
痩せ細ってやつれた病人になった姿をみせたくはない。
それもあらかじめ話しておいた。
その日、いよいよお別れだ。
家から車でいつものように実家の駐車場へ。
モラ夫の運転で娘と3人。
実家から実家の最寄り駅まで、
両親が見送りに。
両親には駅で別れを告げ、改札に入る。
モラ夫、娘、息子夫婦と孫、妹夫婦も一緒だ。
大阪市内まで出て、百貨店で
妹がよく買ってきてくれた大寅の天ぷらを買う。
妹夫婦には今夜の夕食に食べるように、
私はそのまま旅路で食べるつもりで。
そこで妹夫婦とはお別れだ。
地下鉄で新幹線の新大阪まで。
新大阪では駅弁を買い、
息子夫婦にも夕食に、と持たせ
私たちは新幹線で食べるつもりで同じ駅弁を買った。
新大阪で息子夫婦と孫ともお別れだ。
孫を最後に抱っこして、
息子夫婦には家族仲良く暮らすように言って
モラ夫と娘と3人で新幹線に乗った。
新幹線で3人でお弁当を食べた。
娘とはピアノのコンクールで新幹線で東京の全国大会にもよく行った。
そんな思い出話をしながら。
東京駅でエキナカでスイーツを買った。
よく東京からの帰りに買ったおにぎりを買った。
モラ夫と娘には帰りの新幹線で夕食に食べるように渡し
自分も夕食に食べようと買った。
東京からは在来線なのか
再び新幹線なのかわからないが
午後になってから施設に着いた。
モラ夫が施設の手続きに行き、
娘は部屋を整えてくれた。
夕方近くなり、施設の入り口まで2人を見送った。
モラ夫には娘をくれぐれもと頼み
娘にはモラ夫のことを頼んだ。
2人で協力して仲良く暮らすように言って
2人とも最後にお別れをした。
つづく。
今日も読んで頂き、ありがとうございました。