雛子の毎日

60代主婦の泣き笑いの毎日

方向音痴③

https://andante8113.hatenadiary.com/entry/2022/02/25/072754

 


もう一つ記憶にある方向音痴な出来事。

やはり子どもの頃。

 


小学生当時はもれなく子ども会に入会しました。

父は当時モーレツ社員だったし 

母も得にならない事はしない人だったので

子ども会の行事も殆ど参加しませんでした。

 


私自身も運動が苦手だったので

キックベースのチームなどにも入らなかったし。

 


そんな中、数少ない参加した子ども会行事で

夏休みに大きなプールへ行きました。

保護者がついてくる家も多かったけれど

子どもだけでも参加できて。

 


波があるプールや

川のように流れるリバープールがあったのです。

 


行き帰りは友達と

友達のお父さんやお母さんも一緒に。

お兄ちゃんやお姉ちゃんが一緒の友達もいました。

 


お昼ごはんなどどうだったのか、

ジュース代くらいは持っていたのか

そのあたりの記憶は曖昧。

 


ただ、プールから上がる時間を告げられ

更衣室に戻って着替えて入り口に集合、でした。

プールから一緒に上がった友人たち。

「最後にもう一回だけリバープールで泳ぎたい。

「行くべき更衣室がプールから上がった反対方向だったから、もう半周だけ泳いで上がろ。」

となった記憶です。

慣れた友人はさっさとプールに入り泳ぎ出しました。

慌てて後に続きました。

 


ちょうど半周して友人達はプールから上がりました。

上がろうとした場所の流れがはやく、

なかなか上がれない私。

 


流れの穏やかな内側に移動し

プールから上がりました。

ちょうどドーナツの穴の位置です。

そこから陸橋を渡ってプールの外周に移動します。

 


そもそも友人がプールから上がった場所より

少し先まで流されています。

そこからプールの外周から内周に移動するのも

流れながらで真っ直ぐ移動したわけではありません。

プールの内側にやっと出て

外側に陸橋を渡りますが、

陸橋は一つしかありません。

 


そうやってプールの外側に出たときには

自分がどこにいるのか

わからなくなっていました。

道がわからなくなれば

来た道を戻るのが鉄則ですが、

再度流れのあるプールに入るのは無理です。

 


仕方なくプールの外周を歩いて回り

最初にプールから上がった、

更衣室へ行くには1番遠い場所に戻りました。

そして更衣室へ行く出口を確認し、

またプールの周りを歩きました。

 


更衣室へ行く出口だと思ってでたところは

売店が並び、少し進んでも更衣室は見当たりません。

 


更衣室へはシャワーを浴びて出なくてはいけない記憶があり

シャワーを探しました。

シャワーを浴びて出たものの

思っている更衣室はありません。

 


プールと外を何度も行き来し、

いろんな人に聞いたようにも思いますが

すっかり迷子になってしまいました。

 


子どもなので、周りの景色の記憶が曖昧だったり

少しの違いがわからなくなってしまったのでしょう。

 


そのあとどうなったのか 

詳しくは覚えていませんが。

帰宅して家まで送ってくれた友人のお母さんが、

私が迷子になった報告をしました。

 


後でもちろん母からはかなり叱られました。

 


言われた指示に従わずいつまでもプールで遊んだという疑いは説明しました。

小学生になっていたし、 

経緯をちゃんと母に説明した記憶です。

 


が、友達についていけないのは

私の能力不足。

お前は人より遅れている、普通学級にいけない、と。

また友人が見捨てていったのは

お前は友達だと思われていない、

皆に嫌われているのだ、と。

しかも皆に迷惑をかけて

母にも恥をかかせて。

もう二度と行くな、

きっともう誰も誘わないはずだ、と。

 


私が今でも自己評価が低いのは

この母の教育のせいだと思います。

 


ただ、方向音痴は見捨てられると

肝に銘じました。

 


今でも大人数で移動する時や

旅行ツアーに参加するときは

いつも知ってる人が近くにいる事を

常に確認します。

 


時々、気になることがあると

ふらふらと行ってしまう人がいますが、

そういう人は、置いてきぼりになった経験がないのでしょうね。

いつも必ず誰か探しに来てくれたんでしょうね。

幸せな人なのです。

 


今日も読んで頂き、ありがとうございました。