雛子の毎日

60代主婦の泣き笑いの毎日

噛み合わない家族(実家)

実家の話。

 


オーバー80の両親は仲良く二人暮らし。

車で15分の私と

電車で1時間強の妹。

 


生まれた時から私たち姉妹の運命は決められていました。

生まれて「八卦見さん」と言われる占い師に

名付けを頼んだそうです。

当時はよくある話です。

 


私は

将来嫁に行く娘。

20歳を過ぎると一気に運勢が悪くなり

25歳を過ぎて嫁に行かなければ早死にするし

実家にも災いをもたらすかも。

20歳を過ぎたら縁談が来たら選り好みせず受けること。

家の格が実家より低くとも。

貧乏だろうとも。

舅姑、大姑、小姑がいようとも。

夫になる人が見栄え悪くとも。

あまり働かなくとも。

少々酒癖が悪く、暴れる人であっても。

とにかく望まれるなら嫁にやるべし。

 


そう言われたらしい。

なので、どんな苗字にも合うと言う名前を付けられた。

 


3歳下の妹はと言うと。

この子は後取りの頭領娘。

女の子だけど長男だと思って育てること。

もしこの下に男の子が産まれても

その子は分家させるか養子に出して良い。

 


そう言われ、実家の苗字に合う、男文字を入れた名前をつけられた。

 


なのでそのように育てられた。

 


私は

「どんな貧乏な家に嫁いでも生活できるように」と

贅沢はさせて貰えず、

いつもいつもいろんなものを切り詰めていた。

 


「どんなきつい姑がいるかも」

「どんな大所帯かも」と

家事や田畑の仕事もよくさせられた。

 


「どんな横暴な夫にも仕えられるように」と

よく殴れた。

 


お金には不自由しない実家だったが

他所にやる子にお金をかけるのは勿体ないと

私は幼稚園から高校まで公立で

短大だけは私立だった。

妹は幼稚園も私立。

小学校は地元の公立だったが

中学からは私学の女子校に入って

大学までエスカレーターだった。

 


もちろん家事や田畑の仕事も免除されていた。

 


そうやって差をつけられて育ったので

歳の近い姉妹といっても

元々仲も良くなかった。

 


占い師の言った通り、

短大を出て銀行に就職するも

やいのやいのとせき立てられ、

24歳で今の夫との縁談で結婚した。

舅姑と同居と言われ、気乗りはしなかったが

24歳クリスマスケーキが当時の流行り文句。

母は半狂乱になり、

実家にいるなら舅姑同居の方がマシかと、

究極の選択をして逃げるように結婚した。

 


数年後、妹にも婿養子の縁談があり、

実家のかつては農機具小屋と牛小屋だった場所に

離れを新築してもらった。

 


が、半年もしないうちに離婚してしまう。

 


本人たちの相性も悪かったのかもしれないが

両親、特に母の干渉が夫婦仲に影響したのは確かだ。

 


妹が離婚した時は大変だった。

 


しかし、妹が再婚する時はもっと大変だった。

 


つづく。