雛子の毎日

60代主婦の泣き笑いの毎日

もしも・・・

我が家は徒歩圏内は

コンビニと

内科医院と

老人ケアハウスと

ちょっと頑張って

ホームセンター、大型電気店スーパー銭湯

もうちょっと頑張って

スーパー。

もっと頑張って

図書館、カフェ2軒、ドラッグストア。

 

あとは1時間に一本のバスに乗って

駅前まで行けば銀行や郵便局もある。

 

結婚当初、運転免許がなかった私は

当時まだ1時間に4、5本あったバスに

持参人定期券というものを買って乗り回していた。

 

当時は家の周りはもっと何もなくて

徒歩圏内で行けたのは

今はもう閉店した昔ながらのなんでも食品店。

生鮮食品から仕出しもしていたし、

日用品も置いてあった。

 

女に車に乗らせたら危ないし

自由に出歩くようになる

 

というモラ夫の一族の掟があり、

義兄嫁さんもペーパードライバーにされた。

 

姑もびっくりするくらい遠くまで歩いていた。

バス代も自由に使えなかったのか

駅前の郵便局にいく、というだけで

片道45分あるくので、

午前中いっぱい使い、一仕事になる。

 

子どもが病気になっても

今から免許取って

車買って

車の維持費払って

万一事故でも起こしてしまうより

必要なときにタクシー呼ぶ方がよほど経済的だ、と。

 

たしかにそうかもしれないし、

熱のある子を抱いてタクシーを呼んだこともある。

それでもやっぱり不便は不便。

 

そして、子ども2人が幼稚園に上がった年、

実家が

「嫁に出すまでに仕込んでおけなかった教育費」として

教習所の代金を出してくれた。

車は結婚前に貯めた貯金を使った。

誰に文句を言われることはない。

姑は、車の保険代を出すと言い出して

時々、タクシーがわりにされた。

 

お陰で、

子どもたちのスイミングの試合やら

塾の送り迎え、

ピアノの発表会やコンクール、

行動に制限なく生活できた。

自分自身も習い事や買い物や

今の生活に車は欠かせない。

 

まだ実の父もオーバー80で車に乗っているが、

去年新車を買い、これが最後と言っている。

私はまだまだ車は欠かせない。

 

先日、うっかり車を擦ってしまい、

それがショックだったのか

夢うつつの中、

車の運転を止める決心をする夢をみた。

 

車に乗らないなら、

 

家族も減ったし、

スーパーの買い物もそんな心配はない。

ネットスーパーも使えるし。

郵便局や銀行はバスに乗れば良い。

 

合唱団は、無理だな。

料理教室も無理だな。

組紐教室はバスと電車で行ける。

パッチワークは徒歩30分くらいで行けるけど、

そこまでしていかなくて良い。

保護犬カフェも行けなくなるな。

オイルリンパマッサージや

美容院は

ツキイチだしバスと電車で行こう。

美容院はまた駅前で近いところに移ろう。

 

車に乗れなくなったら

お付き合いが途絶える人は・・・

車に乗れなくなったら

行けなくなる場所は・・・

 

夢うつつの中、

ああこのショッピングモールも行けないな、

カード解約しよう、とか。

この人とこのカフェに来ることはもうないな、

今までありがとう、と思いながら

「じゃあまたね」と別れる。

 

寂しい気持ちで目覚めた。

終活、ってこういうことなんだな。

 

短大の心理学で

人生で歳を重ねるということは

諦めることである。

そして最後の諦めが死である。