雛子の毎日

60代主婦の泣き笑いの毎日

雛子の体重変歴

雛子は本当は5月に生まれる予定だったが

3月3日に生まれた。

当然、未熟児で保育器に入っていた低体重。

約2か月入院していたこともあり、

また当時としては当たり前だった粉ミルクで育った。

未熟児で生まれたにも関わらず

1歳児健診では健康優良児で表彰され

保健所に写真が貼られていたらしい。

つまり、粉ミルクでぷくぷく太っていた。

 

幼少期は普通。

 

思春期には痩せていた。

ダイエットしたとか、摂食障害ではなく

単に何をどれだけ食べても太らなかった。

そして食にあまり興味がなかったので

ほかに興味があることがあると平気でお昼を抜いたりしていた。

体重は30キロ代後半だった。

ちなみに身長は156センチ。

 

その体型は24歳で結婚するまで続いた。

5号や7号の洋服をまだ詰めたりしていた。

当時は小さいサイズもあまり一般的でなく、

1番オシャレしたい時に

ババくさい洋服や子供服を着ていた。

 

結婚して1年経ち、不妊治療を始めたことで

太りだした。

程なく妊娠したこともあり、

無頓着に食べては定期検診で注意されるほどの体重になった。

55キロくらいまで太った。

出産後は母乳だったこともあり、

食べても食べてもスリムになり

母乳育児を終えたころはまた40キロ前半の妊娠前に戻った。

 

2人目もほぼ同様だったが、

体重が戻りきらない40キロ後半だった。

それから少しずつ少しずつ蓄積してしまった。

9号サイズがジャストになり、

洋服の選択肢も増えてオシャレが楽しかった。

少しずつ9号サイズが厳しくなり

11号を買ったら程なく13号になった。

とうとう13号も大きなサイズのお店の13号に。

60キロの大台に達した。

子どもたちが中学生の頃だ。

 

やばいやばいと思いながら

サプリに頼ってみたり、

気まぐれにウォーキングしてみたりしたが

焼け石に水

 

それが45歳になった頃、

何をしたわけでもなかったが

痩せ出した。

3年ほどかけて徐々に痩せてきて

9号サイズに戻った。

40キロ後半くらいだった。

食事制限もせず、運動もしなかったのに。

ちょうど更年期にはいり、

ホルモンの関係があったのかもしれない。

 

それが、またまたある時から体重が増え始める。

50キロを超えてしまい、

11号、13号と買い替えて

60キロをまた超えてしまった。

 

これではいけない、

単にスタイルの問題だけじゃなく、

健康的にも。

そう考え、運動不足解消、

体力維持または向上に、

女性専用30分フィットネスに行き始めた。

50歳の時だ。

洋服はデザイナーブランドのゆったりしたものを買うように。

ゆったりしていてもさすがブランドは

野暮ったくなりにくい。

オシャレにみえてくる。

 

そして先月から

月2回だけだがダイエットフィットネスに行くようになった。

約2時間のなか、

前半はダンベルによる筋トレ。

後半はリズムフィットネスの有酸素運動

最後にダイエット講座の座学がある。

昨日の座学はタイプ別ダイエット法。

 

私のタイプはOタイプ。

筋肉質でアスリートタイプ。

上半身に比べて下半身は細く、

筋肉量は多いが、

間違った筋トレをすると変なところの筋肉がつく。

胴体が厚く、ウエストがくびれにくい。

スタミナがある。

 

ということだった。

なるほど、その通りだわ。

 

結構楽しくて気晴らしになるダイエットフィットネス。

月2回くらいだから続くし楽しめる。

そしてなんとか59.7キロくらいになった。